ファミリースナップ
Family Snap常夏のフィリピンから来た、雪国の花嫁
高田さん メアリさん家庭今回は、雪深い富山県にお住まいの日本・フィリピンの国際カップル、高田さんご夫妻を取材させていただきました。夫ユタカさん48歳、妻メアリさん44歳、夫方の祖母順子さん76歳、長女エリンさん17歳(高3)、長男ケイジくん15歳(中3)、次女ソナさん10歳(小4)の、3世代6人家族です。祖母ジュンコさんもユタカさんの姉の強い勧めで、亡き旦那さんと共に祝福を受けておられます。
ご夫婦の出会いの前半。後半は富山にフィリピンのお嫁さんを迎える苦労とそこから生まれた感動のエピソード。是非、最後までお読みください。
● 第一印象はバッチリ!
夫:1999年2月、3億6千万双、韓国のオリンピックスタジアムで、祝福式を受けさせていただきました。当日彼女は参加できず、彼女のお写真を持って祝福を受けました。お父様のマッチングです。
編:奥様のことはなんとお呼びしているんですか?
祖母:この人、通称マリちゃんです。メアリーグレイスさんなんですけど、マリちゃんって呼んでます。(呼び名の理由は後ほど・・・)
夫:初めて直接会ったのが、1999年6月フィリピンにて。ニノイ・アキノ空港。初めて会った際の印象は・・・空港が、日本人のチップ目当てに人が寄ってくるので、空港の外に出て待ち合わせをしていました。しばらく会えなかったのですが、写真で顔を知っていたので、なんとか会うことができました。
初めて会ったときには、「あ、なんて可愛らしいん人なんだ!」と、思いました。南国の感じで、ちょっと汗ばんで、Tシャツ姿で健康的で。
長女:恥ずかしい。
一同:笑
夫:ああこの人と祝福を受けたんだなと実感して、初めて会ったときはすごく衝撃がありました。
妻:わたしの感想は・・・写真だと年寄りに見えちゃったんですが、会ったら優しそうな人だなと思いました。日本人っぽくない顔だなと思いました。目も大きく二重で、普通にフィリピンにいてもおかしくない人だなと。好みの顔でした。(笑)
祖母:素晴らしい! 今はじめて聞きました!!
編:お互いでよいなと思えたんですね。素晴らしい! それが何よりですよね。
多くのカップルで会ったときに「あれ?!」って思うことがあるようなんですが。よかった!
夫:空港で会ったあと、彼女の自宅に向かいました。空港から北東に車で2時間ぐらいのマリキナ市。けっこう田舎の方でした。教会はキューバオセンターというところでした。フィリピンは英語かタガログ語。英語の辞書を持参したんですが、ほとんどコミュニケーションできなかったですね最初は。
編:奥様のご自宅でご家族の反応は?
妻:祝福の相手だよと紹介したのですが、
父は「え! なんで日本人なの!?」って。
母は、「優しそうな人だねえ」って。
編:奥様のご家庭は、どんな環境でしたか?
妻:兄弟姉妹は、兄・私・妹・弟です。父と母は祝福を受けたんですけど。今は他界。兄弟妹たちには全員に聖酒を飲ませた形です。
今、実家には、兄と弟が住んでいて、妹はお嫁に行きました。みんな結婚していて家族がいます。全員カトリック(キリスト教)です。
夫:そして、2回目にフィリピンに行った際にフィリピンでの結婚式を挙げました。カトリック司祭の西本さんという方の儀式を受けて、それで初めて結婚の手続きができる状況でした。
●フィリピンでの食事「マザーウォーター」
編:奥様の国フィリピンはどんな印象でしたか?
夫:そんなに驚くことでもないのですが、手で食べる風習があったのが印象的でした。当時はまだ水道がなくて、タンクで水を汲みに行ったり。トイレも水洗ではなくて、昔の日本のような雰囲気で。最初に行ったときにわたしは体調を崩しました。
妻:暑くてね。
編:フィリピンの代表的なお料理はどんなものですか?
夫:あれはなんだっけ、スパイシーな感じの、スープというか。
妻:「チニガン」です。ちょっと酸っぱい料理。スペアリブとかナスなどの野菜をいっぱい入れたスープです。
祖母:それ今、家中が大好きな料理なの。
編:あ、じゃあそれが母の味なんですね!
祖母:今では、わたしが一番好きなんじゃない! 笑
編:ご主人の初めてのフィリピンでの食事の感想は?
夫:日本とは食文化が色々と違うんだなと感じましたけど、ボクとしては食べるどころの状態ではなかったので。笑
食事を楽しむ感覚は持てなくて。英語もろくに喋れないけど、水だったら「ウォーター」なので。
お母さんにお願いして
「マザー、ウオーター。マザー、ウォーター」
と言って、水ばっかり飲んでいた感じです。笑
● フィリピンでの結婚式
編:フィリピンでの結婚式のことを聞かせてください。
夫:バロンタガログという、正装用の衣装があって、それを着せられて。笑 お化粧もしてもらって式をしました。
編:フィリピンでのお式では、奥様のご親族も集まって行ったのですか?
祖母:ええ、私たち夫婦も日本から参加して。すごく素敵な式でしたよ、教会でね。ビデオもきちんと撮ってくれて。
編:お二人が祝福を受けた年齢25歳と22歳くらいのとき、奥様はどんな生活をされていたんですか? お勤めだったのでしょうか?
夫:銀行に勤めていたのかな?
祖母:大学も出てるしね。
妻:はい。色々と、OLみたいな感じで。
編:大学ではどんなお勉強をされたんでしょう?
妻:金融・・・マネジメントの勉強を。
編:ああ、それではもうバリバリと働いておられてんですね。
妻:結婚後は、教会で教区長さんのお子さんのお世話をさせてもらっていました。教区長さんは国際カップル。日本人の奥さんは日本で働いておられて、旦那さんがフィリピン人の教区長さん。そのお子さんのお世話をしました。
編:なるほど、本当に優秀な奥様を迎えられたのですねえ。
夫:僕は高校を途中で辞めたりしていて。そういう面では釣り合いが取れているんだか、いないんだか、分からないような感じなんです。笑
● 家庭出発、富山の雪に・・・
編:家庭出発の時のことを聞かせてください。
妻:3ヶ月くらい聖別期間の残りがあり、最初は富山教会のホームに住ませてもらいました。その期間はお姉さんたちと地域を回って伝道をしたりしていました。
夫:全部で3年の聖別期間ですよね。まだ聖別期間が足りなくて、ホームにもいられなくなり、妻が先にこの家に入って、僕が少しの間アパートを借りて一人で住んで聖別期間を満了しました。
祖母:その頃は、まだ夫(祖父)が健在で、英語の教師だったので、通訳をしてもらったりして暮らしていました。夫に通訳してと頼むと、よく「自分で調べなさい!」って言われながらね。笑
編集:奥様は、日本に来て特に富山だと寒くはなかったですか?
妻:最初に来たのは9月だったんです。その時はそんなに寒くはなく。秋で、色が綺麗で。
「ああ、これはフィリピンにはない美しさだな」
なんて思っていたんですが、そのうちだんだんと寒くなってきて。服も、持って来ていたのが全部夏物だったし、寒くて。笑
祖母:そうだよね。コートとか買いに行ったよね。
妻:はい、お母さんに買ってもらいました。
初めて雪を見た時、ああこれが雪だなと、嬉しく思ったのですが、その後、雪かきは大変で。車の運転も大変で。正直、あまり好きではないです。笑
編:他に何か不便がありましたか?
妻:日本で生活してそんなに驚いたこと不便なことはありませんでした。フィリピンと違ってとても便利だなと思いました。
日本の食べ物は好きです。納豆は最初苦手でしたが、今は食べます。特に好きなのはちらし寿司。寿司が一番好きです。
フィリピンは刺身を食べないんですけれど、日本のお魚は生で美味しいですね。フィリピンは火を通さないと食べられない。お刺身はスーパーで買ってそのまま食べられるので便利でもありますね。
後編に続きます