幸せな家庭生活のために

For a happy family life

愛と好きの違い

結婚生活という人生の本番をよりよく過ごすためには、まず「愛」とは何かについて正しく知っておく必要があります。

「愛」と似ているようで本質的に違うのが、「好き」という感情です。「好き」は「私」が基準になっています。「私」が好きか嫌いか、満足しているか否か、そこに心のベクトルが向いているのです。相手を「好き」になる動機は、自分自身の喜びであり満足のためなのです。

しかし、「愛」は違います。「愛」が基準としているのは「相手」の喜びであり、幸せなのです。
そもそも、愛には損害がありません。なぜなら、与えれば与えるほど、自らが満たされ豊かになるからです。また、愛には犠牲も存在しません。なぜなら、たとえ自らを犠牲にしたとしても、相手のために生きること自体が喜びであるからです。
もし、あなたが誰かを愛したことを後悔するようなことがあれば、それは「愛」などではなく、単なる「好き」という感情であり、相手のためではなく自分自身に動機があったということになります。

幸せな結婚生活を送るためには、この「愛」と「好き」の違いをよく理解し、相手を「好き」な段階を早く卒業して、「愛する」段階に行かなければなりません。
そうではなくいつまでも自分にベクトルを向け続け、それを「愛」だと思っていると、その「愛」はやがて利己的なものへと変質していくでしょう。そして相手にその「愛」に対する対価を要求するようになり、それが得られないと不満や嫉妬心を覚え、自分と相手を拘束するようになるのです。

愛するには力が必要

多くの人が、愛を「自然に湧き出ずるもの」のように思いがちです。もし「愛には努力が必要だ」と言おうものなら、「そんなに力んで、誰かを愛さなければいけないのか」と言われてしまうでしょう。しかし、愛とは「与える」ことであり、それには大きな力が必要なのです。多くの人が「愛」を簡単に考えてしまうのは、「愛」を「好き」という感情と取り違えているからかもしれません。

愛は、「与える行為」であって、相手の条件によって左右されるものではありません。相手がいらだっている時も、元気のない時も、相手が自分を非難する時も、「それでも、私は相手を愛する」という「主体的な行為」であって、相手の長所も欠点も、尊敬できる部分も気に入らない部分も、すべてひっくるめて受け止めようという「全面的」な心情なのです。

そのため、愛には「自己の投入」が必要なのです。自ら本気で投入した分だけ、愛は強く、深く、そして大きく広がっていきます。自らの命をなげうって子女を生かそうとする、そんな父母の愛情は、最初から備わっているわけではありません。手をかけ、思いをかけ、そこに投入した心情の分だけ、愛は成長していくのです。
つまり人を「好き」になるのではなく、「愛する」ためには、自分の努力によって愛を成長させることが必要なのです。
愛は自然に生まれるのではなく、自身の努力によって成長させなければならないというのが、家庭連合の教えの一つです。

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