ファミリースナップ
Family Snap世界が舞台になって欲しいよね!
山中家庭今回は、都内にお住いの山中トヨカズ・カナエさん夫妻(仮名)。小さな男児二人のお子さんを持つ4人家族です。お二人とも海外からの帰国子女ということで、純和製カップルなのですが、どことなく外国の匂いを感じるご夫婦です。
物を買う時にすごく時間がかかる!
編:ご両親どうしの紹介による出会いということですが、抵抗なんかはなかったのですか?
妻:お父さんとお母さんも紹介されて出会ったのですが、二人がすごい仲良しだったので、祝福はすごくいいものだなというイメージはありました。わたしも同じような結婚がいいなと思っていました。
編:知り合って4年ほどで結婚とうかがいましたが、互いの人柄はよくわかって家庭スタートしたのですか?
夫:結婚前は部分的にしか分からなかったから、結婚して1日中生活を共にしてからお互いをよく知りましたね。
妻は、大きな物を買う時にすごく時間がかかりました。買い物が長いので、最初、ちょっと合わないなと思っていました。今は笑い話ですけど。(笑)
妻:うーん、大変なことは……なかった。(笑) あまりクセのない人で、何でも器用にこなすし。料理も掃除もできる。最近、運動も始めて(全然してなくてちょっと心配だった)。子供の面倒もすごく見てくれて、大変な時はすぐに帰って来てくれる。
編:優しいんですね。
夫:そういう事になっております。
編:喧嘩なんかはしないですか?
子:喧嘩してないよ!
夫:(笑)したとしても、二人の事というより子供のことでかな……。
編:お子さんはすぐにできましたか?
夫:一緒に住んで、3か月くらいかな?
編:では、一緒に生活するより、結婚前の方が少しデートしたりとか、お二人の時間があったのですか?
夫:一緒に住む前は、私が東京、妻は大阪の遠距離で、2〜3か月に1回くらいしか会ってませんでした。
最初の住まいは品川のボローいマンションで、私たちよりも年齢の古い建物でした。私の仕事の帰りが遅いので職場から近い場所という基準で選びました。住まいは古かったのですが、家の近所にいろんなものがあって、水族館に行ったり、自由ヶ丘の商店街をぶらぶらしたり、大井町のヤマダ電機にはよく買い物に行きました。今ある家電のほとんどはその時に買いましたね。そういう意味ではとっても楽しかった。
編:あ、その時に、奥様がじっくり選ぶタイプだとわかったんですね。
夫:そうです、そうです! こんなに良くしてくれたんだから、店員さんにお金を払う気持ちでポンと、決めちゃえばいいんじゃないのと思うんですが、妻は、“一つの店だけで決めるのはどうかと思う!”と、そこだけはシビアでした。(笑)
妻はチリからブラジル、夫はジャマイカからアメリカ
編:では、家庭出発してからは割と順調でしたか?
夫:子供が生まれてから、妻は育児ストレスとかもあるし、気になる大きなことが一つ増えた感じで……。お互いに体も気遣ったほうがいいとか、夫婦での話し合う観点が変わりましたね。
妻も、働いていたのですが、一人目ですし、最終的には辞める決断をして、そのまま今は専業主婦をしてもらっています。
私の仕事はシステムエンジニア。妻は海外の商社で営業をしていて月に何回かは南米か中米をまわってバリバリやってました。それで付き合っている頃は連絡が取りづらい時もありました。
編:お二人は学校の専攻から、それぞれのお仕事に関係のあるところに?
夫:はい。私は機械工学科、妻は……何だっけ、スペイン語の?
妻:中南米地域学科!
夫:妻の両親はチリからブラジル。私の両親はジャマイカからアメリカへと、海外生活の多い転勤族でした。私が生まれる時だけ母が日本に戻ったのですが、まあ私はアメリカ生まれみたいなものです。9歳までアメリカで育ち、その後日本へ。
妻:私はチリで生まれて、9歳からはブラジルのサンパウロで。12歳の時に広島の田舎に戻りました。
夫:アメリカは、ニューヨークとニュージャージーに居ましたが、ニューヨークでの生活はほとんど記憶がありません。
私は3人兄弟の真ん中で、兄と妹がいます。兄は今、韓国人の奥さんと一緒にアメリカで暮らしています。妹は学校の先生です。兄は、アメリカのほうが馴染みがあるようで、アメリカに定住しましたね。
国語、漢字は苦手。でも算数は
編:幼少の頃の外国での生活が、どう影響しましたか?
夫:やはり日本に帰ってきて、国語が追いつかない! 算数は米国と変わらないので。文系か理系か? となった時に、迷わず理系にしましたね。(笑)
高校3年生の進学を決める時、理系の学部で一番就職できそうな学科が「機械工学科」ってなっていたのと、バイクが好きだったので、機械工学科を選びました。あまり良い動機ではないですね。(笑)
大学では、工場なんかで働くのが自分には合わないなと思ったのと、IT業界の方が食いっぱぐれなさそうだったので、システム・エンジニアを目指すようになりました。
編:ちゃんと将来を見ながら、選択を進めて来たんですね。
妻:私にとって南米チリは故郷も同然です。大学生時代に卒論研究のために懐かしい南米に行き、インタビューをして回っていた時、いろんな方のお話を聞くうちに神様の事を感じるようになって。昔の住所は忘れてしまっていたのですが、「友達の家がここら辺かもしれないなあ」「あ、この家が友達のうちだったりして」と、勘だけで戸を叩いたらそこが本当に友達の家だった! という事が何度もあったんです。その時から、ああ、私の事を神様が守っていて、一緒にいてくださるんだと感じるようになりました。
スペイン語、ポルトガル語、そして日本語
妻:チリからブラジルに行った時、スペイン語からポルトガル語に変わったので、いろいろ大変で留年しそうになったんですけど、お母さんが悲しい顔をしていたのを覚えてて、すごく頑張って勉強して、翌年は最優秀賞を獲りました。“お母さんの喜ぶ顔が見たい”それが動機で、勉強が好きになりました。
日本語の会話は、下の二人の弟たちと練習したのを覚えています。
12歳(小6)から日本で生活するようになりました。言葉は、聞き慣れていましたけど、話すのが難しかった。あとは漢字。1日1冊、漢字練習帳を書いていたのを覚えています。勉強は嫌いではなかったですね。
スペイン語が得意だったのに、日本で中学・高校と過ごすうちに使わなくなり、すっかり話せなくなっていました。もったいないという思いもあり、大学はスペイン語を学べる学科を専攻しました。
就職した商社では、スペイン語を活かせる自動車部品を扱う部門に配属され、5年ぐらい働きました。
子供の手が離れたら、スペイン語が活かせる仕事をまたしたいなと思っていますが、スペイン語力を維持できるか……。
自分の言葉でしゃべるのって、凄いなあ!
編:子育ての大変なこと、嬉しいことを教えてください。
妻:大変な部分は、いっぱいあるんですけれど、自分の子であっても自分ではないですからね。赤ちゃんの時と違って、それぞれの意思が出てくるようになると大変ですよね。危ないことしていると怖いですし。
可愛ところは、お話ができるようになって、“ママ大好きだよ”とか、“今日は○○があったよ”と報告してくれるようになったことがすごいことだなー、って思って。自分の言葉で伝えるようになることって、すごいなーって。二人とも名前に「ごんべん(言)」が付いているんですけれど、言葉を通して自分を表現することって大事だなと夫婦で話していて、意識しています。
編:日本語以外の言語の習得を意識して語りかけたりはしますか?
妻:最初は気に掛けてましたけど。(笑) 数字とか、挨拶とかはいいんですけど、もうしゃべリ始めると外で学んでくる基礎は日本語なんで、英語とかスペイン語でしゃべっても「はてな?」という反応なので、最近はそんなにやってないです。お風呂で数を数えるくらいかなあ。
編:今ご夫婦は、子供たちにどんなことを願っていますか?
夫:違う文化とか、違う言葉とかに興味を持ってたりすると、そっちを学ばせてあげたいし、教えてあげて、どこでも仕事ができるし、どこにでも旅に行けたり、そういう風に育つといいなと思っています。
妻:世界が舞台になって欲しいよね。
夫:日本は、帰ってきて葛藤もいろいろあって。でも、いいところもいっぱい知っているから、きっと二人とも今も日本に住んでるし。そういう良さもありつつも、二人とも海外の仕事をすることもあるので、そういう意味で壁はないほうがいいなと思っています。
妻:私も彼も、親の仕事の都合で偶然に、日本以外で育っていろんな文化に触れて。周りの友達もそういう人が多いので今まで気がつかなかったんですが、最近は、子供が世界人になるにはやはり、いろんな文化を体験するのがとても重要なんだなって感じてます。
私たちは意識して、子供たちが平和の心を持った世界人になれるように、育ててあげたいと思っています。
幼少期に海外で生活した経験をもとに、子供達を世界人として育てたいと頑張っている山中さんご夫婦。お子さんたちの成長がとても楽しみです!