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ステージ4の悪性リンパ腫も家族で乗り越えた(前編)

長山家庭 前編

今回は豊田市にお住いの長山さんご夫妻をご紹介します。長山さんご夫妻の娘(当時11歳)は2014927日の御嶽山噴火に巻き込まれ聖和されており、ご夫妻も各種メディアの取材を受けておられたのでご存じの方も多いかもしれません。今回は、夫:長山幸嗣さんの闘病のお話をうかがいます。

 

※家庭連合では、人が肉体での生活を終えて霊界での生活に移行することを聖和(せいわ)と呼んでいます。

聖和式の様子はこちら

娘の聖和と悪性リンパ腫発病

:悪性リンパ腫になった時のことを教えてください。
※悪性リンパ腫とは血液のがんです。

 

:娘が聖和して1年目は取材やら何やらあって、悲しむ暇もなく来るものを受けていました。2年目になるとちょっと落ち着いて、9月末の追慕の会が終わって11月くらいかな? ちょっと調子が悪いなと思う日があって。年が明けて正月は仕事が忙しかったのですが、その後に病気が発覚しました。

 

娘が聖和して、自分としてつらいと言うか、悲しいと言うか。頭では「霊界があって、絶対善霊になって」とか、そう思っているんですけれど、そばに居ないっていうか、実体で居ないじゃないですか。それがストレスなのか、寂しいのか・・・そういう思いが募ったのかなあ。職場の人からも「なんでがんなんかになっちゃったの。娘さんの事があったからなんじゃないの?」って言われて、「確かにそうなのかもなあ」って思ったんです。

 

お医者さんに聞いても原因は不明で。「生活習慣病なんですか?」と質問したんですが、「この病気はそんなの関係ありません」「なる時にはなります」って言われて。だから、食生活がどうとかでもないので、やはり精神的なものなんだなあと思ったんです。

 

考えないようにしていても、どこかで意識していたんですかねえ。自覚はしていなかったんですけど。仕事なんかで忙しくしてごまかしていて。でも体は正直に反応したのかもしれないですね。でもまさかこんなに重い病気になるとは思ってもいなかったです。

自分の聖和について、考えたか?

:重いがんになり、自分の聖和(死)については考えましたか?

 

:そうですねえ・・・がんだと言われると、ちょっと落ち込むじゃないですか。でも、うちの場合は娘がすでに聖和していますし、あの時のショックから比べると「別に・・・」という感じで。笑 娘が先に行ってくれているので、そう不安もなかったんですよ。

 

もし自分が聖和するのであれば、それは多分、そういう時期(定め)なんだなと思ったんですよね。それはもう天にゆだねるしかないし、自分で生きようと思ってもね。こうなったからには、オープンにして・・・ゆだねました、全て。笑 だから一切、煩わしいことは考えないようにして。

 

まず、仕事のことは頭から切り捨てて。6ヶ月くらいは入院と言われた時点で仕事はあきらめました。自分が生きるとか死ぬとかも、自分で決める事じゃないから、全て神様にゆだねて考えるのをやめたんですよね。そうしたら、楽って言えば楽になりました。

 

だから、自分が聖和するとかどうかっていうのは意識はしなかったですね。聖和するんだったらするんだろうなと思いました。でも不思議と、自分は聖和しそうもないなという感じはしました。笑 自分が死ぬ、聖和するっていう時は、なんとなく分かるんじゃないですかね。「ああ、もう無理かな」とか。そういう感じは全然なくて、「なんとかなりそうだな」なんていうことを漠然と考えていて。だから恐怖心とか、そういうものは一切起きなかったですね。

 

聖和するんだったら、その時は娘が迎えに来てくれるかなあ、とか。そういうことは少し考えましたけど。でもそういう気配は全然なくて。

闘病中の事

:病院ではずっと点滴を入れているので、2時間おきにトイレに行きたくなりますので夜は寝ているんだか寝ていなんだかという感じでした。

 

抗がん剤を打っていくと、体はどんどん弱っていくじゃないですか。身体中の毛が抜けたし。ヒゲなんか消しゴムのカスのように取れて行ったんですよ。抗がん剤というのはこんなにも強いんだなと思って。お医者さんからも「まだ40代と若いし、少し強い抗がん剤を入れてますから」と言われて。

 

抗がん剤を打っている時より、抜いた後にガタガタっとキツくなってくるんですね、食欲がなくなったりとか。トイレまで歩くのもキツくなってくるとか。でも、そのうち、「これをやったら治るな」という思いが、漠然とですけどわいて来ていたんです。

家族はどう見ていたのか

:夫の幸嗣さんは聖和する気がしなかったようですが、客観的に見るとどうだったんでしょう? 妻の文江さんから見るとどんな様子でしたか?

 

 

:まず検査が一通り終わって、「一番進行が速いがんのステージ4で、特別な種類なので治りにくいものです」と、説明を聞いた時に、お医者さんの表情がとても深刻で・・・でもやっぱりなんか、死ぬ気はしなかったですね。笑

 

説明を受けて病室に戻った時に2人で、「まだ何にもやってないよね。やることはいっぱいあるよね。きっとこのままじゃ霊界に行けないよ、はじかれるよって」話しました。さすがに、その日の夜一晩だけは、ちょっと深刻になって悩みましたけど。ゆだねるしかないし、治療のできるがんだったので、そこは希望を持って行けるし。翌日からは不安なく生活できました。

 

「なぜか?」と言われても分からないんですけど、夫が死ぬ気はしなかったです。逆に、退院した後にお世話をしてくれていた看護師さんの話を聞いて、「ああ実は相当深刻な病状だったんだな」って気付いたくらいで。とにかく、不思議なんですけど、「大丈夫だ」っていう感覚はありました。

 

 

:娘さんが先に聖和されていることでも安心感があったと、夫の幸嗣さんはおっしゃっていましたけど。やはり、そういうことってあるものですか?

 

 

:そうですね、やっぱり、行ったら会えるっていうねえ。そういうことはあるんでしょうけど。

 

私としては「私より先に娘に会うのかなって」。笑

 

:ははは。(笑)

 

:「悔しいな」って(笑)そういうことも、ちらっと思いましたね。「先に行かせるもんか」っていうね。

 

:うはははは!(大笑)

 

 

つづく

 

 

長山さんご夫妻は、笑いも交えながら楽しくお話を聞かせてくれましたが、実際の病状はとても深刻だったはずです。笑いながら話せるのは、克服した今だからこそだと思います。また、取材中は気が付きませんでしたが、ご夫婦のどこから来るか分からない「大丈夫だ」という気持ちは、もしかすると霊界の娘さんがご両親に強力な「大丈夫だよビーム」を送ってくれていたからなのではないかと今は感じます。

 

 

長山さんの闘病には、もう一つ重要なエピソードがあり、次回はそれをご紹介いたします。

 

 

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