コラム
colum心を楽にする感謝の気持ち
私たちは無意識のうちに、悪いことが起こると人や環境のせいにしがちです。普段からそうとらえていると、願わない状況に置かれた時、怒りや不満の思いが爆発してしまいます。そんな時、心のチャンネルを変えることで、楽になり、人生も大きく変化します。秘訣は、すべてに「感謝」することです。
故事成語に「塞翁が馬」という話があります。福と思っていたことが災いを呼び、災いと思われたできごとが福を呼ぶこともあるという例えです。人間にとって何が幸いで何が災いなのか、表面的な現象だけでは分かりません。例えば、病気を通して「健康のありがたさ」に気づいたり、災難から「家族の絆の大切さ」を実感したり、苦労を通じて「幅広い人格」が築かれたりするものです。そのように考えると、その時は不幸だ、災難だと思うようなできごとが、次のためのステップになっていると言うこともできます。
かつて、京都に大石順教先生という腕のない尼僧がいました。17歳の時、ある凄惨な大量殺人事件に巻き込まれ、養父に自分の両腕を切り落とされるという耐え難い体験をしました。しかし、その境遇を嘆くことなく、口で筆を持って書を書くなど自立の道を歩み、結婚、出産、さらに出家の道をたどりました。その無私の生き方は、日本のヘレン・ケラーとして、他界されて30年になる現在も光彩を放ち、人々に夢と希望を与え続けています。
大阪の四天王寺には、順教先生の腕を切り落とした養父の墓があります。この墓は順教先生が建てたものです。当然あってしかるべき憎しみや恨みを持つことなく、「そういう嫌な役回りを果たす人がいたからこそ、今の幸せがある」と語っていたそうです。先生はよく「禍福一如」という話をしました。禍と福は一つという意味です。「両手がないことがマイナスなのではない。心の持ち方で一つのできごとが幸せになったり、不幸になったりする」と言われました。
さらに、「また生まれ変われるなら、手のない状態で生まれたい」と語っていたそうです。生まれ変われるのであれば、「五体満足」に生まれたいと思うでしょう。しかし、再び手のない状態で生まれたいと言い切れるのは、手がないことで多くの恩恵を受けた実感があるからでしょう。
人生がたとえ自分の思い通りにならなかったとしても、葛藤したり、人のせいにするのではなく、感謝の心で受け入れてみましょう。すると、困難だと思った環境が開かれたり、可能性が見えたり、もっと大きな夢を見いだすこともあるでしょう。
「今、ここ」に与えられているものを、肯定的に受け止めるか、否定的に受け止めるかによって、運命が決定されます。その選択を決めるのは、あくまでも自分自身です。周りの影響を受けるのは当然ですが、誰かのせいにしたり、環境のせいにしたりせず、自分の責任で幸せの道を選択することが大切です。そこで必要な心の姿勢が「感謝の心」なのです。