待ち合わせ時間に少し遅れてきた3人は、駅から小走りでこちらに向かってきた。午前の街頭演説を早めに切り上げて取材場所に駆けつけてくれたのだ。白數さん、駒井さん(駒井さんは仮名)、碓本さんに、二世の立場で生きてきた思いを語ってもらった。
白數将明さん(25歳)は、幼い時からほぼ毎週欠かさず地元の教会に通ってきた。大阪府内でも南東部の、人情味あふれる地域の教会だ。教会に行けば、教会長や「おばちゃん」たちが可愛がってくれた。毎回決まって聞かれるのは『밥 먹었어?(ご飯食べた?)』。白數さんが空腹でも満腹でも関係なく『먹어!먹어!(食べて食べて)』と言われたとか。
「教会では、たくさんの人に温かく接してもらいました。無条件の愛、家族のような愛が当たり前のようにあることは、教会員ではない友人と話していると当たり前ではないと気付きました。すごいことやと思います」
家庭でも、普段の会話で神様の話をしたり、外出前後にお祈りをしたりと、信仰生活が当たり前だと思って育ってきた。しかし成長と共に、ただ信じてきた神様の存在を、確かなものにしたいと思うようになった。そして中学1年生の時に参加した研修会で神様の存在が確信に変わる体験があったという。
2人目の駒井澄花さん(仮名、24歳)は、父親が教会長で、幼少期から礼拝がある日曜日は一家全員、朝から夜まで教会にいた。家にいる時間が短いお父さんに会えるので、教会に行くことは楽しみだった。まめに面倒を見てくれた教会のお姉さんも憧れの存在だった。
しかし、高校生のころ、教会から距離を置きたいと思うようになった。「一般社会からどう見られているか」が気になるようになったからだ。高校3年生の時に受験したのは、大阪の実家から遠く離れた、東北地方にある大学。合格が分かった後、教会に対するネガティブな思いを両親に話すタイミングがあった。
「自分は神様も大好きだし、教会の人も好きやったけど、社会からどう見られているのかが気になって悩んでいました。一旦教会から距離を置きたいと話したのですが、父はひたすら私の話を聞いてくれて、『そうなんや』って受け止めてくれたんです。それが私にとっては、ありがたかったです」
駒井さん親子の話し合いは、1週間にわたって毎晩続いた。不安や不満を吐き出し続けるうちに、駒井さんの心の重荷は解かれていき、両親に対する尊敬の思いすら湧いてきた。同時に、なぜ両親は家庭連合を選んだのか気になるようになった。進学先は、滑り止めで受けていた大阪府内の大学に変更し、地元の教会に通いながら教えをしっかりと学んだ。大学を卒業した今となっては、それで良かったと心から感じている。
インタビューに答える碓本さん
3人目の碓本奈央さん(23歳)は、母親だけが信仰を持っている家庭で育ったケースの二世である。碓本さんが初めて教会に本格的に関わるようになったのは、大学生になってからで、地元教会の新青年歓迎会に行ったことがきっかけだった。はじめの頃、碓本さんにとっての神様は遠い存在で、「全人類の中の一人である私」という感覚だった。
ところが、信仰生活を続けるうちに「神様が自分の手を取って真っ暗な中を導いてくれていた」ということに気付き、涙した。その後、母親からもらった手紙を通して、母親も同じような体験をしていたことを知る。
「お母さんの手紙を読んだときに、『私は神様を知れてよかった』ということが書いてありました。私に『神様に出会って幸せになってほしい』とお母さんが願ってくれていたことに感動しました」
家庭連合にどのような良さを感じているかも聞いてみた。
椎本さんは「私は、神様に出会えたことが、ものすごくよかった。自分は神様から愛されていて、生きていていいんだなと、自分に価値があることを感じられました」と語る。
高校生の頃は自分と周りとを比較してばかりだったが、愛されている実感を通して自分のアイデンティティを掴み、自信を持てるようになったという。
駒井さんは「仲の良い幸せな家庭で生まれ育つことができたこと」を挙げた。母親がフィリピン人で、言語の違いゆえに苦労する両親の姿を多く見てきた。しかし、いつも最後はお互いに感謝し合って乗り越えようとする姿があった。家族仲に関するエピソードを聞くと、子供たちが成長した今でも「家にはベッドもあるのに、床に布団を敷いて家族5人で並んで寝ることがある」と笑顔で話してくれた。
午後、3人はまた別の場所で街頭演説を行った。その日の活動を終えた帰りの車内、白數さんに家庭連合の解散命令請求に対する思いを尋ねると、明るかった表情が一瞬だけ曇った。
「今の日本では、とんでもないことがまかり通っているというか……。信仰を持った人が生きづらい世の中になっていると思うんですよ。信仰があっても、世間体を気にして教会と距離を置くようになってしまった二世もいて……」
自分たちにもできることは何か、必死で考える日々が続く。
「みんなで、友人知人や地域社会の『ために生きる』努力をコツコツと重ねて、多くの人から感謝される私たちの教会になりたいです。そして、僕らの子供たちが成長するころには、家庭連合に自信を持てる社会にしていきたいと思っています」
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