九州地方の家庭連合教会員とその支援者で結成された「基本的人権・信教の自由を守る九州の会」。2023年10月~24年8月にかけて福岡市内や九州各地で家庭連合への解散命令請求の不当性や信教の自由をテーマにシンポジウムを開催する一方で、駅前や街頭での演説やデモ行進などを行った。今回は、福岡市内で行われたシンポジウムで信徒代表として壇上に立ち、教会員の切々とした思いを訴えた廣渡さんにお話を伺った。
編集:今日はよろしくお願いします。廣渡さんが壇上で話されている様子は「九州の会」のYouTubeチャンネルで公開されています。どのような思いでスピーチされたのかをうかがう前に、家庭連合の信仰に対する思いから教えていただけたらと思います。
廣渡さん(以下、「廣」と省略):私は29歳の時に伝道されて、その時すでに結婚して子供がいました。当時、幼い子供たちの子育てをしながら、「かわいい奥さん」「優しいお母さん」になりたいという私なりの理想があったんです。しかし現実は、そう上手くいかないことにいつも悩んでいました。
そのころ、教会で開催された講演会に参加しました。その講演会で、私が葛藤していたことや疑問だったことが「ここで全て解決する!」という筋道が見えて、たいへん感動しました。実は私は、小学5年生の時から親に勧められて仏教の経典を読経して育ったのですが、現代の言葉でもっと深く(宗教的真理を)知りたいと思っていたんです。でも、統一原理の内容を聞いて全ての答えがここにあると感じました。
それから、(講義で)「人類の真の父母がいます」と言われた時に、今までにないほど心から泣いたんです。「迷子の子供がやっと親に再会するって、こういうことなんだ」と感じて、わんわん泣いたんですよ。
それが本当に大きな喜びだったので、夫にも話しました。夫には「楽しければ続けていい。楽しくなかったらやめたらいい」と言われました。それ以降、教会での学びも、信仰の実践も全てが楽しくてたまらないので今まで20年くらい続けています。悩んできた自分の人生も大切なものに変わり、家族や地域の方々もかけがえのない存在に感じています。宝物が増えたという感覚です。
(「信教の自由を守る九州の会」の活動として)駅前に立って演説することは、周りからはすごいと言われますが、大切なものを守るために必死に立っています。
編:そうなんですね。
廣:信仰生活は本当に楽しくてたまりません。しかし、家庭連合が今置かれた状況は苦しいです。普段から笑って生活するようにしていますが、家庭連合への厳しい目はつらく、今の置かれた立場、切実な苦しさを訴えています。できれば、家庭連合の良さだけを伝え続けたいというのが本音です。ただ、私もこれまで真実を伝える努力が足らなかったという思いもあり、駅前に立っています。
2022年7月の事件後に家庭連合に関する多くのバッシング報道がされるようになってから、私たちの教会の実態が伝わらず誤解されていることに、もどかしい思いがありました。それから、私の子供たちも家庭連合に対する社会の変化に傷つき、戸惑っている様子がありました。どうやってこの子たちを守り、どうやって家庭連合を守ることができるか、ということを毎日考えていました。
それで、まずは私の家庭から大切にしていこうと思い、子供たちの葛藤や質問も、全部しっかりと受け止めて答えるようにしました。子供たちの中に「母親は間違ったことを本当にしていないのか」という疑念があることを感じて、それが無くなるまで向き合いました。ありがたいことに、私は何の葛藤もなく教会生活を送ってきましたから。
シンポジウム(2023年10月の「家庭連合(旧統一教会)解散請求の不当性を訴える 信教の自由を守る福岡集会」)で私が信徒代表としてスピーチをすると決まってから、不安な思いもありました。しかし、祝福二世の教会長が「私たちの不足さをお許しください」と祈っておられる姿を見たときに、これは(自分で選んで教会に入った)一世が言うならまだしも二世に言わせてはいけないと思い、そこで決意が固まりました。
スピーチに向けて思っていたことは、まず、心ある方はおられて、必ずどこかで聞いてくださるということ。それから、2022年の事件が発端ではあるけども、実際はずっと昔から宗教に対する偏見や迫害が日本にあったこと――。私は家庭連合に出会う前に読経をしていましたが、自身の信仰を公言しづらい日本社会の雰囲気は感じていました。そして、世界の国には今も内心の自由を抑圧されて生きている人々がいて、その人たちの無念を(私が信教の自由を訴えることで)解放する場でもあると思って当日に臨みました。
シンポジウム当日に登壇すると、ものすごい重圧が迫ってきました。原稿を準備していたのですが、精神と体力の限界が来て、最後まで持ちこたえられないかもしれないと思うほどでした。今までの信仰者が信仰を守るために命を懸けてきた、という感覚が初めて分かったような気がしたのです。信徒「代表」として立った時に、家庭連合の長い歴史の中で苦しい思いや悔しい思いをしてきた方々の、まだ解放されていない思いが一遍に迫ってきたような感覚でした。ですから、信徒「個人」としての立場とは全然違うと感じています。
それから、私は家庭連合の教会員の皆さんは家族だと思っていますから、家族を守りたいという気持ちもありました。その思いで駅前にも立ち続けています。少しおこがましい言い方ですが、教会員の皆さんには、もっと自信を持ってほしいし、幸せになってほしい。皆さんも前に立って大丈夫ですよ、ということを私の実体で見せているという面もあります。
2024年8月4日「基本的人権・信教の自由を守る福岡大集会」で信徒代表としてスピーチをした廣渡さん
編:ありがとうございます。もう一点お聞かせください。「宗教二世問題」として、子女の信仰継承をめぐるトラブルが社会問題になりましたが、廣渡さんはご自身のお子さんとはどのように関わっていらっしゃいますか?
廣:私は、この教会で人生が変わったという体験があるので、子供たちには教会で何か良いものを掴んでほしい、という思いはもちろんあります。しかし、子供には信仰や教会活動への参加を強制されたとは感じてほしくないから、子供にかける言葉は気を付けるようにしています。
上の子は、私が教会に出会う前の姿を覚えているので「お母さんは教会に来て良かったと思う」と言ってくれています。下の子も、しっかりと自分の考えを持っているので「お母さんの言いたいことは分かった」と言ってくれます。私も伝えたいことはしっかりと伝えたうえで、子供の意思を尊重するようにしています。
また、子供たちに対しては、私は一番の応援団でいたいと常に思っています。だから、「友達の話を聞いても、うちのお母さんの方がもっといい」とか「私は家族に恵まれている」とか子供が言ってくれた時は、一番ありがたい言葉だなと思って受け取りました。
それから、子供たちは私とは世代も感覚も違いますが、遠慮なく意見を言ってくれるので本当にありがたいです。子供がいい意見を言ってくれて、気付かされることがたくさんあるんです。私は視野が広いタイプではないので、子供たちが関心あることを教えてもらうこともあって、今も本当に楽しいです。
編:そうでしたか。今日は貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。