ファミリースナップ
Family Snap
結婚相手はアフリカ人、ベナンは地球のどこにある?
カミイ ジョンソンさん・上村友美さん家庭(前編)今回は、西アフリカ・ベナン共和国出身の夫:Camille Johnson・カミイ ジョンソン(50才)さんと妻:上村友美・カミムラトモミ(48才)さんにオンラインでインタビューに答えていただきました。
お二人が祝福を受けたのは、2003年4億双祝福の4次。現在は東京にお住まいです。
お子さんは、長女はカリンさん(中2)、長男コウタくん(小6)、次男ツカサくん(小5)、次女アメリちゃん(年少)の4人。お子さんたちは、フランス名やベナンの民族名も持っているそうです。

■ 苦難のアフリカ・ベナンから見た日本
<ベナン共和国について>
ベナン共和国、通称ベナンは、西アフリカに位置し、面積は日本の3分の1ほど。南北に長く、南はギニア湾に面しています。公用語はフランス語。1990年に社会主義体制から民主化し市場経済体制に移行。情勢は安定しています。
ベナンでは天一国青年宣教師の活躍がめざましく、2019年には前期の宣教師の作業を引き継いだ植樹活動、原理講師の育成修練会、小規模ながらピースロードも行い、また、天寶役事(按手の役事)もベナンにおいて行われており、様々な基盤を作り出しています。
編:国際祝福が決まった時の感想を聞かせてください。
夫:嬉しかった! もともと、日本をよく知っていて。ベナンの本部で献身的に歩んでしていた時も、よく日本の宣教師の方々が来ていたし、中学校で外国の勉強をする中で、日本に一番興味を持っていた。
実は、今の祝福の前にアフリカ人と祝福を受けていたが(1997年4000万双)、相手に事情があって・・・。その事を国家メシヤに相談したところ、新たな祝福を紹介してくれた。
私は兄から伝道された。兄は学校の先生から伝道されていた。
その兄がドイツで活動しており、私もドイツにいくつもりでいた。新たな祝福マッチングの相手はドイツに住んでいる人になると思っていたが、自分としては日本の女性を希望していた。結果的に、妻と縁を結んでもらった。親も、とても喜んでくれた。
編:ベナンの方は、日本にどんな印象を持っていますか?
夫:ベナンで日本の評価は高いです。一番真面目に物を作っているのは日本人だと、仲間も話していた。車でもバイクでも、日本製品が一番。私は若い時KAWASAKIのバイクに乗っていた。
編:おお! バイクに乗っておられたということは、裕福なお家だったのですか?
妻:裕福だった、過去形というか・・・。笑
夫:おじいちゃんが、お金持ちだった。事業をしていて、家もたくさん持ち、土地も持っていて。1960年代には父が車に乗っていた。それはベナン、アフリカ全体で見ても珍しいことだった。
編:では、子供の頃は恵まれた環境だったんでしょうか?
妻:そうでもないんだよね。
夫:はい。12歳の時に母が亡くなり。お父さんは政治のことで大変だった。共産主義の国だったから下手をすると殺されてしまう。ある時、父はガーナまで逃げたりして。母も父もいなくなり、いろいろと大変だった。
20才(1989年)くらいの時に兄に伝道されて、そこから13年ぐらい後に妻に出会った。

■ 相手はアフリカ人です、写真を見ますか?
編:次に、奥様にうかがいます。遠い国の方と結ばれましたし、いろいろとご苦労があったのではないですか?
夫:いやいや、いっぱい問題があったよね(笑)。
妻:実は私、信徒になる前から、結婚まではいかなくても、日本を離れて南米ぐらいには住みたいと思っていたんです(笑)。
南米ではなくアフリカでしたが、神様が願いを聞いてくれていたのかなと、ちょっと思っています。
夫も再祝福なのですが、私も実は4回目のご縁で・・・3回はお相手が韓国の方だったのですが、なかなかしっかりと家庭出発まで行かず。その中で、ベナンの夫カミイの写真をいただいたのです。
写真をいただく前に、責任者の方から、
「アフリカの人だけど、どうする? OKじゃなかったらこのままお戻しするよ」
と言われました。
私は常々、お相手は神様にゆだねようと思っていたので、アフリカの人だから嫌だとか、そういう思いはなかったので写真をいただきました。
ただ、その写真を見ると、ものすごく悲しい表情をした写真だったんです。
「祝福の写真を撮るのに、なぜこんなに悲しい顔をしているんだろう」
と、思いました。
実は、夫の前の相対者は、亡くなってしまったのだそうです。それで悲しくて打ちひしがれて、悲しい表情だったのですね。
私自身は、運勢だけは強いと思っているので。笑 途中で死んだりもしないだろうと思いまして。それで、なかなか夫に伝え切れていないとは思うのですけれど・・・夫には本当に幸せになって欲しいなという思いだけは今もあって。
とはいえ、この異国の地に来て、苦労していることは間違いなくて。
そういう思いはありながらも、前の3回が韓国の方だったということもあって、なかなか自分自身の切り替えができなくて。切り替えられていない自分に、家庭を持って初めて気付きました。時間がかかりました。
今、アフリカのこともたくさんテレビでやっていますし、アフリカの人もたくさん出てきます。明るいアフリカもたくさん取り上げられるし、アフリカ人とのハーフの子たちもたくさん活躍していて、それらを見ながら、時代の最先端にいるんだという事をありがたいなと感じながら生活しています。
編:日本で家庭出発されたのは、どんな経緯だったのですか?
奥様はベナンには何回か行かれたのですか?
妻:一度だけ行かせてもらいました。
私の母の実家が沖縄なんですが、ベナンに行った時、沖縄に似た雰囲気があって、懐かしい気持ちになりました。
実は私は、骨を埋める決意でベナンに行ったのですが、結果的に日本で家庭を持つことになりました。責任者の方とも相談をしていたのですが、日本に夫を呼ぶ方が自然な流れなのかな・・・ということになりまして。やはり、あちらの国では生活すること自体がとにかく大変だと。日本でなら、家がないとか、食事がないということはないだろうということで・・・。
編:そうでしたか。当時のベナンは大変な状況だったのですね・・・。
※ 後編に続きます。