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娘たちに受け継がれる、父母の海外宣教 ‟魂”

笹野家庭 前編

今回は、富山県魚津にお住いの、笹野さんのご家庭にお話をうかがいました。

笹野家は、妻方の祖母・ご夫妻・娘5人の8人家族です。

妻方の家業を継いで、家族三世代で生活をされています。

 

✻本屋の前で独り寂しく落ち込んだ出会い

 

 

編:ご夫婦の出会いについて、教えて下さい。

 

夫:私は信仰を持って、日本の学生組織で活動していましたが、程なく米国に宣教に行くことになりました。米国で8年活動して、さらに活動が世界化する中で、ロシアに行くことになりました。

ロシアのサンクトペテルブルクという場所で活動していた時に、写真マッチングで妻と出会いました。

 

妻は、ドミニカ共和国で活動をしていました。

毎日のように電話で交流しましたが、その電話交流はなかなか大変でした。

2人がいる場所は時差が半日あり、昼夜が逆転しています。私は早朝に起きて時間を合わせました。

また、ロシアもドミニカも電話回線の状況が良くなかったのですが、私は文先生に決めていただいた相手としっかりと関係を築いていこうという一念で電話交流を続けました。

 

そして祝福式の時は、私がロシアで妻の写真を持って参加。妻がドミニカで私の写真を持って参加。その際にはまだ2人は会うことができていませんでした。

 

2人が直接会ったのは、その祝福式から数ヶ月後。日本で行われた東京ドームでのイベントの際。

一緒にイベントに参加しようと、渋谷の本屋さんの前で待ち合わせをしていました。

しかし、時間になっても妻は現れません。知り合いがどんどん、イベントに向けて出発をしていくのを横目に、シャッターの閉まった本屋の前で私はポツンと1人で待っていました。

いろいろな思いが心の中を駆け巡り落ち込んでいたところに、道路の向こうの方からピンクのスーツを着た女の人が、髪を揺らしながら走ってきたんです。

「ごめんなさーい、バスが遅れたんですよー!」と、叫びながら。

こうして、2人の出会いが始まったんです。

 

✻出会って翌日には親戚への披露宴

 

イベントが終わって、この富山に帰るバスの中で隣合わせに座って、初めていろいろと長い話をしました。

バスが早朝に到着すると、妻のお母さんが車で迎えてくれて、この家に連れて来てくれました。

2階の部屋で着替えをしたりして・・・その翌日がさっそく自宅での披露宴だったんです。

名古屋や魚津から集まってくれた親戚一同に、「妻とは昨日初めて会いました、これからよろしくお願いします」と。

こうして、初めて会って、1日だけ会話して、翌日には披露宴という、普通ではとても考えられない出会いでした。

 

披露宴を済ませて、今度は2人でロシアに向かいました。

ドミニカでの妻は1年間で14人の人を伝道して祝福式に参加させるような、すごい頑張り屋でした。

ロシアに来ても、ロシア語が話せなくても伝道に行くようなファイティングスピリットの持ち主です。

ドミニカでは、日本に比べて桁違いに治安が悪い、食生活もひどい、という中でも不平不満を言わず、感謝して頑張ってきた人なんです。

だから、ロシアでもすぐに順応して。食べるもの、寝るところ、文句も言わずすぐに伝道に行きたいと言って、やっていました。

 

✻極寒のロシアで子女も凍る

 

編:ドミニカとロシアでは、気候も暑いと寒いで真逆ですね。そういう環境的な大変さというのは?

 

妻:すごかったですねえ。

そうですね、きゅうり一本買うのにも、零下30度の所を30分かけて行くんです。

この子(長女)がまだ1歳で、ちょっと手を出していたら、カチカチになったとか。

ちょっと間違っていっぱい着せたら、バタッと倒れて起き上がれなかったり(着せすぎで関節が動かなくなっていた)。

 

治安が悪いので、エレベーターの中で殴られたりとか物を取られたりした人が出たり、館に火炎瓶みたいなものを投げられたりとか。

 

編:サンクトペテルブルクというのは、モスクワからはちょっと離れている地方都市なんですよね?

 

夫:そうですね、モスクワの北西、フィンランドに近い、ロシアの京都と言われるところですね。

すごく綺麗なところで、外国人の観光客も多いんですよ。エルミタージュ美術館や宮殿もあって。

 

編:そしてお二人が家庭を出発したのは、ロシアだったんですね。

 

妻:そうです、夫が42歳で、私が37歳の時、ロシアで。

 

編:そこから、5人の娘さんが!?

 

夫:そうです、そうなんですよ。すごいことでしょ。

 

妻:結婚生活を始めて翌月には妊娠が分かりました。

 

✻海外での劣悪な医療環境

 

夫:ところが、ロシアの病院で診察を受けると、胆石があると言われて。ま、誤診だったんですよ。

最初はロシアの中にあるアメリカ系の病院。モルモンの方がやっている病院に行ったんですよ。

料金も高いんですが、それなりの近代的な設備がありましたので。そうしたら、そこのお医者さんは「妊娠はしていない。大きな結石がどこかにある」と。「だからこれは手術しないとダメだ、日本に帰れ!」と、言われたんですよ。

でも、妊娠だったんですよ。

その病院は、お金ばっかり要求する。1回行く度に100ドル。1万円を要求してくるわけです。

それで、もう、お金が続かないので、次はロシアのお医者さんに行ったんですよ。

そうしたら、優しい女医さんが、全く逆のことを言う。結石なんかありません、妊娠してます。

「えー!」ってびっくりして。

それで、もう、ロシアでの医療は信頼できないから、妻を日本に送ろうと。

安定期の5ヶ月に入ってから、妻を日本に送り、黒部の市民病院で出産しました。

 

祖母:生まれたら赤ちゃんを連れてロシアに戻って。

でまた、2人目が出来たら日本に戻ってね。

 

妻:2人目で日本に帰ってくる時は大変で。飛行機で、背中に1人いるし、お腹にも1人いるし。

何時間も出発しない飛行機ばっかりで、バスは子供が手を付けば凍ってひっついてしまうようなバスだし。

韓国に着いた時に、やっとホッとできた。ああ、もうこれで大丈夫だと。

韓国はやはりアジア圏なので、安心できました。安全圏に来たという感じで。(ロシアからは韓国経由で帰国していた)

それまでは、危なかったですねえ。

 

✻今戻らねば永遠の恨みになる

 

 

夫:私はロシアには都合で4年半いました。

 

妻:私は、2人目が生まれた後は、ロシアに戻らなかったんです。

 

夫:こちらでお義母さんが、長女と次女の面倒を妻と一緒に見てくれたわけなんですよ。

 

妻:でも、長女は、次女が生まれたら反抗期になってきて。長女が2歳ぐらいの時なんですけど、赤ちゃん返りといいますか。

それで、母親だけでは無理だなぁっと思いました。私も精神的に厳しくなって、夫に、なんとか帰ってきて! と。

無理なお願いをして、帰ってきてもらったんです。

 

夫:それだけじゃなかったでしょ。

 

妻:はい、私の父が亡くなり、高齢だし母だけでは家業のガス屋をできないから、ということで。

夫:そうだね。私は上長からもロシアにずっと残れと言われたんですよ。

それで、事情を見知った妻の先輩が「重たいガスボンベをお義母さんが1人で運んでいては、大変だから帰ってきてくれ」と、私の父に対して手紙を書いたんです。私の父から「帰って来い」と連絡がありましたが、私の上長は帰るなと言い、私も葛藤をして。

そんな時、各地を巡回しているある先生が来られて、その際に私の事情を話したら「帰るべきだ」と。

「今帰らなければ、あなたの義母さんは永遠の恨みになるから」と。

その先生が、私の上長に話をしてくれて、私は1999年の3月に富山に帰ってくることになり、ガス屋として富山での生活が始まりました。

 

<つづく>

 

笹野さん家庭の波乱万丈なお話は、次の回に続きます。

次回は、ご両親のお話と、娘さんたちのお話です。

 

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